nomeの重光です。
分かりやすく伝えるためには、多面的に説明した方がいいと思ってしまいます。
「◯◯は、△△だろう」と伝えたいだけなのに、気付くと、いくつかの根拠を説くために、たくさん話してしまいます。
もちろん、伝わりません。
話しすぎると伝わらないことを知っていながら、気を抜くとドツボ(土壺)にハマります。
「話すこと」に高揚しているのでしょう。
「やりたいことは、伝えること」のはずが、「自ら高揚したい」も同時に叶えようとしているのだと思います。
カラオケで、みんなの前で、上手に歌えてると思っている時の高揚感に近いでしょうか。
「自ら高揚したい」の、よりどころとなる正当な理由として「相手のことを思って、多面的に説明してあげよう」があるのだと思っています。
本当に、相手のことを思いやるなら、端的に話すべきです。
プラスアルファの欲が優先され、結論がなくなったりもします。
絶対に伝えたい時こそ、誤解を恐れず、最低限の話題展開を心がけたいものです。